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世界がぜんたい幸福にならないうちは…_b0002906_01562135.gif
この言葉は、過去に何度も向き合いながらも「いい言葉だなぁ」と思ったり、「ありえない」と思ったり、その都度、その都度、何度も自問自答してきた言葉でもあります。
もちろん、個人の幸福をないがしろにして、世界全体の幸福はありえません。ただ、個人の幸福が個人の幸福のみで終わり、世界全体の幸福につながっていかないということもあります。例えば、環境問題です。個人の幸福のために世界の環境が破壊されています。世界の環境が破壊されれば、やがて個人の幸福も破壊されるかもしれません。個人の幸福が世界全体の幸福へとつながっていないならば、それはやがて巡り巡って個人の幸福が奪われてしまう可能性があるのです。
そして戦争についても考えてみましょう。今、戦争に対する不安を多くの人たちが感じ、同時に世界の平和を願う多くの人たちがいます。その中で、平和を望みながら、戦争に反対しながらも国を守るためには軍事力が必要だと考える人たちもいます。しかし、軍事力によってつくられる平和は、お互いに銃口を向け合う中で作られる平和であり、緊張の平和、不安の平和と言ってもいいかもしれません。軍事力をゼロにするというのは、究極の理想であり、現実的には難しいのですけれども、軍事力を減らしていくことで世界全体の幸福、平和がつくられるのではないでしょうか。日本には、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を前面に出した第九条をもつ日本国憲法があります。この第九条が世界全体を幸福にしていく光となることを願います。
世界の経済が密接につながっているグローバルな現代において、世界全体の幸福を願っていく、その方向性に間違いはないはずです。世界全体の幸福なんて実現できないかもしれない。それでも世界全体の幸福を願い、その願いに立っていく。
浄土真宗の御本尊・阿弥陀如来という仏様は、「全ての人を救いたい」という願いをたてられた仏様になります。南無阿弥陀仏とお念仏申すことは、阿弥陀如来の「全ての人を救いたい」という願いを共感することでもあります。
新型コロナウイルス、環境問題、戦争、経済、格差、差別と、国内外に様々な問題がある中で「世界全体が幸福になるにはどうしたらいいのか?」ということを大事な判断基準として考えていけたらと思います。
最後になってこういうことを言うのもなんですが、そもそも「幸福って何?」という問題があります。幸福には、人それぞれ様々な価値観があるかと思いますが、私はあえて「安心」という言葉に置き換えて考えることができるのではないかと思います。
「世界がぜんたい安心にならないうちは、個人の安心はありえない。

2022年5月 合掌

# by opentemple | 2022-05-19 01:56 | 今月の掲示板・ご挨拶

正義の反対は…

正義の反対は…_b0002906_19501771.gif

合理的に考えれば、今回のロシアは戦争はしないであろうという大方の予想に反して、ロシアの侵攻が始まりました。この合理的な考え方というのは、西側諸国の合理的な考えであって、ロシアにはロシアの、合理的な考え方があったわけです。
西側諸国の「正義」に対して、ロシアが「悪」ということではなくて、西側諸国の「正義」に対して、ロシアにはロシアの「正義」があるのです。お互いに「自分の正義」を主張して争う、「正義」と「正義」が争うのが戦争です。その「大人の正義」「権力者の正義」の争いの裏で涙を流すのが子供やか弱き人々です。
マルティン・ルター(独・神学者)は「戦争は人類を悩ましうる最大の疾病だ」と言いました。私たちは新型コロナウイルスという疾病に向き合う中で、人類にとって最大の疾病とも対峙しなければなりません。これ以上、戦禍が広がらずに、武力ではなく、対話によって解決の糸口が見つかることを念じています。

2022年3月合掌

# by opentemple | 2022-03-06 19:50 | 今月の掲示板・ご挨拶
靴紐を結ぶべき身を屈めれば_b0002906_06375135.gif

「一年の計は元旦にあり」と言われるように、何かを計画して始める身は丁度良いのが一年の始まりである元旦になるのでしょう。
「一年の計は元旦にあり」という言葉の由来として挙げられるのは、中国・明代の学者・馮応京(ふうおうけい)が
中国の伝統的な行事やしきたりを解説した「月令広義」という書物の中にある下記の文章になります。

───────────────
一日の計は晨(あした)にあり
一年の計は春にあり
一生の計は勤にあり
一家の計は身にあり
───────────────

「晨」と書いて「あした」と読みますが意味は「朝」です。
「春」の意味は正月です。この文章が「一年の計は元旦にあり」となったのでしょう。さらに勤勉に働くことで一生が決まり、健康によって家族の行く末が決まるという意味合いの文章が続きます。
健康は大事ですが、健康でない者がいても敬いがあれば家族であり続けられると思いますので「一家の計は敬にあり」と、敬いから始まる家族でありたいと個人的には思います。「一年の計は元旦にあり」と言うけれども、たとえ元旦でなくとも靴紐を結ぶ準備ができた時、いつでも、どこでも、その場所、その時がスタートラインです。
今年はどんな一年になるか分かりませんけれども、皆様にとって大事な一歩を踏み出せる一年になることを祈念いたしております。
二〇二二年一月 合掌

# by opentemple | 2022-01-04 06:38 | 今月の掲示板・ご挨拶
束縛があるからこそ、私は飛べるのだ_b0002906_08461934.gif

苦しみや悲しみをなくしていく、なくしたいと考えるのが私たちの普通の考え方です。
なくすことができる苦しみ、悲しみならば、なくすように努力をしていけば良いのですが、そうはできない苦しみ、悲しみがあります。
どうしようもできない、決してなくせない苦しみ、悲しみはどうしたらよいのか?
その苦しみ、悲しみを抱えて、その苦しみ、悲しみを活かしていくという道があります。
新型コロナウイルス発生から二年を迎えようとしていますが、まだまだゼロにはできそうもありません。
そんな中で、この二年間の経験をどう生かしていくのかが今、問われているのかもしれません。
合掌

# by opentemple | 2021-11-05 08:46 | 今月の掲示板・ご挨拶
残されているものを最大限に生かせ。_b0002906_14021946.gif

第二次世界大戦における戦闘で障害を持つことになった傷病軍人たちの治療を通して、その身体的・精神的なリハビリテーションにスポーツが最適であると考えたグットマンは、1948年ロンドンオリンピック開会式の日に、入院患者を対象とした競技大会を始めました。この競技会は、その後国際大会として開催されるようになり、参加者も増え規模も拡大し、1960年、ローマオリンピックと同じローマで開催された国際車椅子競技大会がのちに第一回ローマパラリンピックとみなされることとなり、グットマンは「パラリンピックの父」と呼ばれることとなりました。

この時代の日本では、障害者は「保護される人」であり、「ベッドで安静にしている人」という意識があ足り前でした。そんな中、1960年留学中にグットマンに出会い、その理念に感銘を受けた医師・中村裕は帰国後、精力的に動き、1964年には東京パラリンピックが開催されました。その大会に出場した欧米の障害者アスリートの多くは、仕事や家庭をを持ち自立した人生を送っていました。その姿を目の当たりにした日本選手から「自分たちも自立した人生を送りたい」という切実な声が上がりました。この声を受けた中村裕は「保護より機会を」をモットーに、障害者の働く場づくりに力を注いでいくこととなったそうです。

オリンピック・パラリンピックの開催には複雑な思いがありますが、改めてパラリンピックの歴史を調べてみると知らないことがたくさんありました。その中で出会ったグットマンの言葉は、コロナ禍を生きる私たちにも大事なメッセージではないでしょうか。失われたもの、できないことにとらわれるのではなく、残されているもの、できることに精一杯、目を向けていきたいと思います。
2021年9月 合掌



# by opentemple | 2021-10-01 14:02 | 今月の掲示板・ご挨拶

ご縁を大事に、想いをつなぐ    石川県金沢市のお寺、聞善寺から発信する住職からの思い、行事やイベントのお知らせ等もあります。


by 聞善寺
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