この言葉は、過去に何度も向き合いながらも「いい言葉だなぁ」と思ったり、「ありえない」と思ったり、その都度、その都度、何度も自問自答してきた言葉でもあります。
もちろん、個人の幸福をないがしろにして、世界全体の幸福はありえません。ただ、個人の幸福が個人の幸福のみで終わり、世界全体の幸福につながっていかないということもあります。例えば、環境問題です。個人の幸福のために世界の環境が破壊されています。世界の環境が破壊されれば、やがて個人の幸福も破壊されるかもしれません。個人の幸福が世界全体の幸福へとつながっていないならば、それはやがて巡り巡って個人の幸福が奪われてしまう可能性があるのです。
そして戦争についても考えてみましょう。今、戦争に対する不安を多くの人たちが感じ、同時に世界の平和を願う多くの人たちがいます。その中で、平和を望みながら、戦争に反対しながらも国を守るためには軍事力が必要だと考える人たちもいます。しかし、軍事力によってつくられる平和は、お互いに銃口を向け合う中で作られる平和であり、緊張の平和、不安の平和と言ってもいいかもしれません。軍事力をゼロにするというのは、究極の理想であり、現実的には難しいのですけれども、軍事力を減らしていくことで世界全体の幸福、平和がつくられるのではないでしょうか。日本には、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を前面に出した第九条をもつ日本国憲法があります。この第九条が世界全体を幸福にしていく光となることを願います。
世界の経済が密接につながっているグローバルな現代において、世界全体の幸福を願っていく、その方向性に間違いはないはずです。世界全体の幸福なんて実現できないかもしれない。それでも世界全体の幸福を願い、その願いに立っていく。
浄土真宗の御本尊・阿弥陀如来という仏様は、「全ての人を救いたい」という願いをたてられた仏様になります。南無阿弥陀仏とお念仏申すことは、阿弥陀如来の「全ての人を救いたい」という願いを共感することでもあります。
新型コロナウイルス、環境問題、戦争、経済、格差、差別と、国内外に様々な問題がある中で「世界全体が幸福になるにはどうしたらいいのか?」ということを大事な判断基準として考えていけたらと思います。
最後になってこういうことを言うのもなんですが、そもそも「幸福って何?」という問題があります。幸福には、人それぞれ様々な価値観があるかと思いますが、私はあえて「安心」という言葉に置き換えて考えることができるのではないかと思います。
「世界がぜんたい安心にならないうちは、個人の安心はありえない。
2022年5月 合掌
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by opentemple
| 2022-05-19 01:56
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