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人生に花が咲こうと咲くまいと_b0002906_10521500.gif
アントニオ猪木さんが昨年の10月1日に命終されました。
猪木さんは生前、元気と勇気をたくさんの人たちに分けてくださいました。そんな猪木さんの元気の出る言葉の一つに上記のものがあります。
人生には成功もあれば失敗もあり、いい時もあれば何をやってもうまくいかない時もあります。いろいろなことが起こりうる人生ではあるのですが、生きていること、それ自体が花であると。いや、そもそもこの世界に生を受けた、生まれてきたこと自体が花であるとおっしゃいます。
花の大きさや色や形は千差万別の自分だけのいのちの花を抱えて人は生まれてくるのです。
じゃあ、その花は死んでしまったらお終いなのかと言ったら、そうではないでしょう。アントニオ猪木といういのちの花は、今もなお、多くの人たちの心に咲き続けています。いのちの花はつながっていくのです。
いのちの花は出会いの中でつながっていきます。私たちは自分のいのちの花とともに、出会いの花を花束にして生きていくのです。
合掌


# by opentemple | 2023-03-01 10:52 | 今月の掲示板・ご挨拶
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし_b0002906_10490378.jpg
お参りにお伺いしているお宅に、毎年お正月に遺影用の写真を撮っているという旦那さんがおられます。家族には「何もお正月からそんなことしなくてもいいのに」と言われるそうですが、「今年も無事に正月を迎えられて嬉しいという思いと同時に、正月を無事に迎えられたからと言って、今年も大丈夫だという保証はない。いつ何時、何が起こるかわからないぞと、自分自身を戒めるために正月に遺影用の写真を撮っているんですよ」と旦那さんはおっしゃっていました。
一休禅師も同じ思いで上記の歌を詠まれたのでしょう。
自分の死を考えることは決して縁起の悪いことではありません。自分の死を意識してみると「今、やりたいこと」「どう生きたいのか」が問われてきます。死が本当に生きるというところに立ち返らせてくれます。
合掌
2023年1月


# by opentemple | 2023-01-02 10:49 | 今月の掲示板・ご挨拶
都合よく生きられたら幸せだという夢から…_b0002906_10565830.jpg
私たちは、都合よくいきたい、思い通りの人生を歩んで「幸せになりたい」と願っています。
「幸せになりたい」という欲望や願望は全部、自分が作り出します。自分で作り出すので、一つ満たされれば必ず次の欲望や願望が出てきます。ですから「私はもう充分幸せになったので、もう結構です」って話はあまり聞きません。「幸せになりたい」という、この思いには終わりがないのです。
この「幸せになりたい」という思いは、裏を返せば不満になります。「なりたい」ってことは、なっていないということなのですから。それでも、一つ、欲望・願望が満たされたら満足するかというと、しばらくは満たされた気持ちになることもあるかと思いますが、必ず次の欲望・願望が出てきて、不満の状態になる。もしくは、手に入れたものを守りたい、守り続けたい、失いたくないということで不安な気持ちになるのではないでしょうか。
「幸せになりたい」と願う生き方は、満たされなければ不満に苦しむ。満たされたとしても、今度は失いたくなくて不安になる。不満と不安の間を行ったり来たりしながら生きる生き方になってしまう。そこに「幸せになりたい」と欲望を満たそうとする生き方の問題があるとお釈迦様は気づかれるわけです。
お釈迦様の言葉に「知足(ちそく)」「足るを知る」という言葉があります。ないものに目を向けるのではなく、あるものに目を向けていくことが、欲望とうまくお付き合いをする秘訣なのかもしれません。
合掌

# by opentemple | 2022-11-08 10:57 | 今月の掲示板・ご挨拶
不思議なものは多い。しかし…_b0002906_21283180.gif
戦争はいけない、命を大切に、腹八分目でお酒は飲みすぎない、不倫はダメ、温暖化をとめるには二酸化炭素の排出量を減らす、サボらずに真面目に働く、悪いことはするな、良いことをせよ……etc。
みんな、それくらいのことわかっています。しかし「わかっちゃいるけどやめられねぇ」のです。人間の「癖」と言ってもいいかもしれません。
「わかっちゃいるけどやめられねぇ」というのは植木等が歌った「スーダラ節」の一節です。実は、植木等はとても真面目な性格だったそうで、こんないい加減な歌を歌っていいものか、本気で悩んで父親に相談したそうです。この父親というのが植木徹誠(うえきてつじょう)といいまして、浄土真宗のお寺の住職をされている方でした。植木徹誠は「スーダラ節」を聞いて、「わかっちゃいるけどやめられねぇ」というのは人間の真の姿を言い当てている素晴らしい歌だと言って、植木等に歌うことを薦められたそうです。歳は取りたくないけれども歳をとり、病気になりたくはないけれども病気になり、死にたくはないけれども、せめてピンピンコロリで死んでいきたいと思うのだけれども、なかなか思い通りにならない。思い通りにならないものを思い通りにしようとして人間は苦しんでいるのです。けれども「わかっちゃいるけどやめられねぇ」。
ここに人間の悲しさがあり、人間の面白味、人間らしさがあり、人間の不思議があるのではないでしょうか。
2022年9月 合掌

# by opentemple | 2022-09-01 21:28 | 今月の掲示板・ご挨拶
親鸞は父母の孝養のためとて…_b0002906_13531716.gif
親鸞は亡き父母のために念仏申したことがない理由をこう述べます。
『そのゆえは、一切の有情は世々生々の父母兄弟なり』
訳:その理由は、生きとし生けるものはありとあらゆる命とつながりあって生きる父母兄弟のような存在だからである

父と母の存在なしで私が存在することはありえませんが、父と母の存在だけで私が存在しているわけでもありません。父と母にも、それぞれ父と母がいます。
私からすると4人の祖父母がいて、その先には8人の曽祖父母がいます。十代遡りますと1,024人の(およそ江戸時代末期)、二十代遡ると104万8576人(およそ江戸時代初期)の御先祖様がおられ、その命、誰か1人でもかけていたら私は存在していません。そんな壮大な命の歴史、縦のつながりがあります。そして、今、現在、私が生きていく中でも様々な人間関係があり、食事でいただく命があり、まだ出会っていない命まで含めた、縦にも横にも壮大な命の世界があります。そんな壮大な命の世界を象徴する仏様が阿弥陀如来という命の仏様になります。
亡き人のためだけに念仏を申すのではなく、亡き人をご縁に、亡き人を通して壮大な命の世界に出会うということを大事にしながら「南無阿弥陀佛」の念仏を申していただけたらと思います。

2022年7月 合掌

# by opentemple | 2022-07-04 13:54 | 今月の掲示板・ご挨拶

ご縁を大事に、想いをつなぐ    石川県金沢市のお寺、聞善寺から発信する住職からの思い、行事やイベントのお知らせ等もあります。


by 聞善寺
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