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幸せはなるものではなく感じるものです。
空腹の時に食べるおにぎりは、満腹の時の食べるどんなものよりも幸せを感じさせてくれるはずです。そんな空腹の時に食べるおにぎりでも数個食べれば満足します。食べ過ぎれば苦しみになります。疲れ果てて入るお風呂や布団にこの上ない幸せを感じることがあったかと思います。でも、お風呂に入り続けることも、布団で寝続けることもできません。
幸せというものは、瞬間、瞬間に感じる充足感、満足感と言ってもいいのかもしれません。この充足感、満足感というものは、一つ満たされると必ず次が出てきます。ですから、私たちの感じる幸せはなかなか長続きしません。
では、どうしたら長続きさせられるのか?
感謝できることに目を向けてみてください。できないこと、ないことに目を向けるのではなく、できること、あることに目を向けてみてください。幸せを感じる心を大事に育ててください。当然ですが、安心できる衣食住がないと感謝に目を向けることはできないかと思います。
能登の被災地をはじめ、日本の各地、世界の隅々まで安心できる衣食住が確保されることを願わずにはおられません。

合掌

# by opentemple | 2024-11-08 06:36 | 今月の掲示板・ご挨拶

夢か現か

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「酔生夢死」という言葉は北宋時代に活躍した儒学者・程顥(ていこう)が残した書物に由来するもので、「まるで酔ったような夢見心地のまま虚しく一生を終える」という意味になります。仏教の教えの中でも使うことがありますが、その場合は人間の生き様そのものとして「酔生夢死」が使われることがあります。
私はお酒を飲まないから関係ないわって方もおられるかと思いますが、お酒を飲まなくても私たちは酔えるのです。預金通帳の額に酔っている人はいませんか?自分の美貌に酔うこともあります。学歴、地位、家柄に酔っている人もいるでしょう。人間はどこかで、何かに酔いたい。
お釈迦様は、そんな私たちの生き様をこう喩えられました。

広い野原を旅人が歩いていました。そこに象が暴れて襲ってきた。旅人は大慌てで逃げると、その先には井戸があり、井戸の上には藤のツルが垂れていた。これは幸いだと思い、藤のツルに掴まって井戸の中に逃げ込んだ。井戸の中には象は入ってこられませんから、やれやれとホッと一息をついて下を見ると井戸の底には毒蛇がいた。驚いて上を見ると藤のツルをネズミがカリカリとかじりつつある。そんな絶体絶命の状況の中で、ふいに藤の花から蜜が一滴落ちてきた。その蜜が旅人の口の中に入り、その甘さに夢見心地となり自分が置かれている絶体絶命の状況を忘れてしまう……。
人間が快楽に身を任せて、人生の苦しみを忘れているのはこのようなものだとお釈迦様はおっしゃるのです。

農民から天下人になり、欲しいものは何でも手に入れることができた豊臣秀吉が63年の生涯の終わりに思いを吐露した辞世の句があります。

『露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪花のことも 夢のまた夢』

傍から見れば大成功と言えるような秀吉の人生でも「酔生夢死」の人生であったと言えるのかもしれません。死を前にした時、秀吉は酔いからさめ、自分の人生に寂しいものを感じたのでしょう。
あなたも何かに酔って大事なものを見失っていませんか。

2024年9月 合掌

# by opentemple | 2024-09-06 10:00 | 今月の掲示板・ご挨拶
一生懸命だと知恵が出る。_b0002906_09540270.jpg

「一生懸命」はもともとは「一所懸命」に由来する言葉になります。
「一所懸命」は「武士が賜った一か所の領地を命がけで守り、その一か所を生活の頼りにして生きたこと」を意味します。これが「物事を一生かけて、命がけでやる」という風に転じて今では「一生懸命」と表記するのが一般的になりました。物事を本気で、命がけで取り組む姿勢があれば、愚痴や言い訳がでてくる暇はなく、考えて、考えて、考えた先に知恵が出てくるのでしょう。
私たちは好きなことならば、一生懸命に取り組めるのですが、嫌いなことになるとなかなかそうはいきません。嫌いなことを無理やり好きになろうとしても、やっぱり好きにはなれないでしょう。どうしたらいいのか?
大きな視点で見てみたらどうでしょうか。嫌いなものも好きなものの一部であると考えてみるのです。大好きな「趣味」のために「仕事」を頑張れるということがあるはずです。苦手な「練習」も「成功」の一部、過程であるはずです。大きな視点で考えてください。
喜劇王・チャールズ・チャップリンはこう言います。「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」。
人生を振り返ってみたときに笑えるように「生きる」ということに命をかけて、一生懸命になってみてください。

2024年7月 合掌

# by opentemple | 2024-08-02 09:54 | 今月の掲示板・ご挨拶
災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。_b0002906_11202311.gif
曹洞宗の禅僧・良寛さんは1829年、新潟で大地震を経験されました。
その時、良寛さんが知人に宛てた無事を伝える手紙の中で上記の言葉を書かれました。
「ちゃんと災難にあう、ちゃんと死んでいく」とはどういうことか。
それは、災難や死を引き受けていく、受け入れていくということではないかと思います。私たちは病気になっても「ちゃんと病気になる」ということがなかなか難しい。「今まで健康に気をつけていたのになんで」「この歳で病気になるなんてなんで」「なんで私が」「なんで、なんで…」こんな思いが出てきて、「ちゃんと病気になる」「ちゃんと災難にあう」「ちゃんと死んでいく」ということが難しいのです。
私たちは、自分にとって都合の良いことはいくらでも引き受けるのだけれども、都合の悪いことはなかなか引き受けることができません。しかし、都合の良いことも、都合の悪い事もちゃんと引き受ける、受け入れていくことが、自分の人生にちゃんと足をつけて、自分の人生を歩んでいくことになるのではないでしょうか。
どんなことがあっても阿弥陀さんはそばに寄り添って、一緒に引き受け、一緒に歩んでくださいます。どんなことであっても引き受け、受け入れた、その第一歩が始まりとなっていきます。
合掌


# by opentemple | 2024-05-02 11:21 | 今月の掲示板・ご挨拶
知恵がある奴は、知恵を出そう。力がある奴は…_b0002906_15221785.jpg
1月1日に発生した令和6年能登半島地震により、犠牲になられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災された皆さおよびご家族、関係の方々に心よりお見舞い申し上げます。能登地方にご家族、ご親戚、ご友人、職場の仲間など多くのつながりがある中での災禍、ご苦労、ご心労いかほどかと拝察いたします。

自然はすべてに命を与えてくれる大きな源でもあり、一瞬にして命を奪う大きな力でもあります。この自然の前では人間の無力さを痛感せざるをえません。しかし、無力さを感じながらもできることはあるはずです。
東日本大震災の時に松山千春さんはラジオで上記の言葉をリスナーに呼びかけました。

お一人、お一人のできることは違います。
お一人、お一人のできることは小さいかもしれない。
でも、そんなお一人、お一人のいろいろな力、小さな力を合わせて私たち人間はこの世界を、この大自然の中を生きてきたのです。
被災地域の一日でも早い復旧、復興を衷心より祈念しながら、できることを一つずつ、一歩ずつしていきたいと思います。

2024年1月 合掌



# by opentemple | 2024-02-29 15:31 | 今月の掲示板・ご挨拶

ご縁を大事に、想いをつなぐ    石川県金沢市のお寺、聞善寺から発信する住職からの思い、行事やイベントのお知らせ等もあります。


by 聞善寺
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