<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<?xml-stylesheet href="/assets/xslt/atom.xsl" type="text/xsl" media="screen" ?>
<feed version="0.3"
      xml:lang="utf-8"
      xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"
      xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
  <title>聞善寺 　掲示板・行事のご案内</title>
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp" />
  <modified>2026-02-25T10:01:15+09:00</modified>
  <author><name>opentemple</name></author>
  <tabline>ご縁を大事に、想いをつなぐ　　　　石川県金沢市のお寺、聞善寺から発信する住職からの思い、行事やイベントのお知らせ等もあります。</tabline>
  <generator url="http://www.exblog.jp/">Excite Blog</generator>
  <entry>
    <title>見解の食い違いとは</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/36203749/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/36203749/</id>
    <issued>2026-02-25T10:01:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-25T10:01:15+09:00</modified>
    <created>2026-02-25T10:01:15+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202602/25/06/b0002906_09523072.jpg" alt="_b0002906_09523072.jpg" class="IMAGE_MID" height="248" width="500" /></center>戦前、戦中、戦後の物がない時代を生き抜いてこられた方は、「今は何でもあって幸せやねぇ」とおっしゃる。今の時代、確かに物がなくて苦しむということは減ったかもしれません。しかし、現代においては「物がありすぎて苦しんでいる」という側面があるのではないか。物がない時代は【みんな持っていなかった】ので、それはそれでよかったのだ。今は【みんな持っている】から大変なのである。スマホにしてもゲームにしても本当に欲しいのか、必要なのかと考えることなく【みんな持っているから、私も欲しい】となるのだ。<br />
私たちは良くも悪くも自分自身で経験してきたことを大事にしながら様々な判断をしている。だから同じ日本人でも生まれた時代、生まれた地域、住んでいる場所、年齢、性別、職業が違えば様々な見解があって当たり前です。同じ日本人でも理解し合うのは大変なことなので、外国人の方と理解し合うのはより大変なことでしょう。もちろん日本人であっても外国人であっても基本は話し合って、お互いの理解を深めていくことです。でも、日本人でも外国人でも話の通じない人っていますよね。そんな時は、下記のタモリさんの言葉を思い出してみてください。<br />
<br />
<br />
『「話せば分かる』じゃないのよ人間は。<br />
　　　　　　　　　　　「離せば分かる」なんだよねぇ』<br />
<br />
<br />
2026年3月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>仏法が分かるということは</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/35925921/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/35925921/</id>
    <issued>2026-01-01T15:00:00+09:00</issued>
    <modified>2026-01-01T15:00:09+09:00</modified>
    <created>2026-01-01T15:00:09+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202601/01/06/b0002906_14525408.jpg" alt="_b0002906_14525408.jpg" class="IMAGE_MID" height="208" width="500" /></center>新年を迎えました。<br />
その裏では、新年を迎えたくても迎えることができなかった無数の命の存在があります。<br />
「新年を迎えることができた」ということは決して当たり前のことではありません。それは毎年迎える新年だけではなく、毎日迎える「今日一日、この瞬間」も決して当たり前に迎えることのできるものではありません。<br />
開業医をされながら親鸞聖人の教えに深く帰依され、全国各地で法話をされ、著作も多数ある米沢英雄さんはこうもおっしゃります。<br />
<br />
<br />
『今、新しいものはやがて古いものになるのです。仏法は永遠に古くならないものです。真実というものはいつも新しい、この真実をつきつめたところに真宗があるのです。これは流行に左右されません。どんな平凡な、毎日同じような仕事をやっていても宗教心さえ芽生えておれば、いつも新しく生きておられるのだと思う。』<br />
<br />
<br />
毎日を有難い毎日としていただくことは、同時に毎日を新しい毎日としていただくことになるのでしょう。<br />
そんな毎日を一日、一日丁寧に生きるということを大事にしたいと思います。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
2026年1月　合掌<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>蜂と神さま</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/34719899/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/34719899/</id>
    <issued>2025-08-31T12:16:00+09:00</issued>
    <modified>2025-08-31T12:17:46+09:00</modified>
    <created>2025-08-31T12:16:46+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202508/31/06/b0002906_12091124.jpg" alt="_b0002906_12091124.jpg" class="IMAGE_MID" height="830" width="500" /></center>仏教では全てはつながっていると教えてくれます。<br />
水は雲として存在します。そして雲は雨となり山に沁み込み、沁み込んだ水がやがて湧き水となり、川となって水道管を通って私の元に届きます。<br />
ですから、水を飲むということは、雲を飲むことであり、雨を飲むということであり、山を飲むということであり、川を飲むということでもあるのです。人間の体の70パーセントは水だと言われていますから、身体の70パーセントは雲、70パーセントは雨、70パーセントは山、70パーセントは川という風に考えることができるかもしれません。水は雲であり、雨であり、山であり、川であり、そして私です。<br />
また、私たちは宇宙ともつながっています。<br />
太陽がなければ、私たちは生きていけません。水も空気も食べ物も太陽のエネルギーから生まれたものですから、私は太陽であるとも言えるのです。私たちは時間も空間も超えた無限のつながりの中を生きています。そんな無限のつながりを象徴する仏様・阿弥陀如来を浄土真宗では、御本尊として大事に手を合わせています。<br />
私たちはつながりの中でしか生きていけないのに、つい自分一人の力で生きていると錯覚してしまいます。南無阿弥陀仏とお念仏申しながら無限のつながりの中にいる私を思い起こしてください。<br />
2025年9月合掌<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>人を殺すことが戦争ではないんです。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/34598985/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/34598985/</id>
    <issued>2025-07-01T10:00:00+09:00</issued>
    <modified>2025-07-01T10:00:17+09:00</modified>
    <created>2025-07-01T10:00:17+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202507/01/06/b0002906_09594853.jpg" alt="_b0002906_09594853.jpg" class="IMAGE_MID" height="169" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
第一次世界大戦で約一千万人、第二次世界大戦で約四千万人、日本ではアアジア太平洋戦争で焼く300万人の命が失われました。人類の歴史上、戦争の死者がもっとも多かった20世紀は戦争の世紀と呼ばれることもあります。<br />
21世紀は平和の世紀であってほしいという願いとは裏腹に、9.11アメリカ同時多発テロで21世紀の幕が開けました。そして21世紀の4分の1、25年が経過しましたがウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、イスラエルとイランなど、とても平和の世紀とは呼べそうにありません。ニュースで見る戦争報道を遠くの世界の出来事だと“無感覚”になっていたら戦争に巻き込まれていると言えるのかもしれません。<br />
日本国内においても日本人と外国人の間に軋轢がないわけではありません。人が人を殺すこと、殺されることに“無感覚”にならないことを平和への第一歩としていきたいです。<br />
<br />
<br />
2025年7月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>難が無ければ無難な人生、難が有れば…</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/34545930/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/34545930/</id>
    <issued>2025-05-08T09:25:00+09:00</issued>
    <modified>2025-05-08T09:25:13+09:00</modified>
    <created>2025-05-08T09:25:13+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202505/08/06/b0002906_09243091.jpg" alt="_b0002906_09243091.jpg" class="IMAGE_MID" height="189" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
多くの人が苦難の人生ではなく、難のない無難な人生を願っておられるかと思います。無難とは特によくもなく、悪くもない、可もなく不可もなくとくことです。ですから無難な人生とは平穏無事な人生と言えるかもしれませんが、別の見方をすれば困難を避け、挑戦もしない人生とも言えるかもしれません。今年、大阪万博が開催されていますが、55年前の万博のシンボル『太陽の塔』をデザインした芸術家・岡本太郎はこう言います。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
『私は人生の岐路に立った時、いつも困難なほうを選んできた』<br />
<br />
<br />
『人間にとって成功とは一体なんだろうか。結局のところ自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。』<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
困難な道を選んで挑戦することは結果はどうあれ後悔のない人生を歩めるのではないでしょうか。楽な道を選ぶことも決して駄目だとは思いません。時と場合によっては、楽な道を選ぶことが必要なこともあります。ただ、楽な道を選びつづけると結果的には苦難の道になってしまうような気もします。選択の余地がない困難もありますが、選択のできる困難に直面した時に自分自身が問われます。<br />
生きるということは日々、選択の連続です。すべて困難な道を選択すべきだとは思いませんが、人生には必ずターニングポイントとなるような決断を迫られる時があるはずです。そんな時は岡本太郎の姿勢を思い出したいものです。<br />
2025年5月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>死の自覚が生への愛である</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/34488668/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/34488668/</id>
    <issued>2025-03-10T11:14:00+09:00</issued>
    <modified>2025-03-10T11:14:03+09:00</modified>
    <created>2025-03-10T11:14:03+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202503/10/06/b0002906_11134734.jpg" alt="_b0002906_11134734.jpg" class="IMAGE_MID" height="143" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
終活というと断捨離などの身の回りの整理、財産整理、葬儀やお墓の準備のことを言います。しかし、終活の肝心要は「死の自覚」「命には限りがあるという自覚」になるのではないでしょうか。<br />
自分の死を考えるのは縁起が悪いとか、まだまだ先だから考えたくないという方もおられるかと思いますが、自分の死を自覚する、自分の死を考えるということが、実は生きることを大事にすることである、生きるということを愛することであると戦後日本におけるギリシャ哲学の権威であった田中美知太郎氏はおっしゃるわけです。<br />
改めて自分の最後を考えてみた時、多くの人が最後、自分が笑っていられて、まわりの者が悲しんでくれる、そんな最後を迎えたいと思われるのではないでしょうか。じゃあ、どうしたらそんな最後を迎えられるのか？<br />
そのように生きたらいいわけです。最後、自分が笑っていられて、まわりの者が悲しんでくれる、そんな生き方をしたら、最後、そのような最後を迎えることができるのです。生きるということと死んでいくということはまったく別々のことではなくて、表裏一体のことです。生と死は対極にあるのではなく、生と死はともにあるわけです。死というものに向き合った時、じゃあ今なにがしたいのか、これからどのように生きたいのか、死ということから生が問われてきます。<br />
死に向き合うということは、生に向き合うということです。生と死がともにある自分の人生に向き合い、人生を考えるということが終活というものの本質ではないかと思います。そう考えますと、終活は年配の方にだけ必要なものではなく、すべての人々に大切なことになるのではないでしょうか。<br />
合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>止まない雨はない　とかじゃなくて</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/34390994/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/34390994/</id>
    <issued>2025-01-05T16:43:00+09:00</issued>
    <modified>2025-01-05T16:43:48+09:00</modified>
    <created>2025-01-05T16:43:48+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202501/05/06/b0002906_16432434.jpg" alt="_b0002906_16432434.jpg" class="IMAGE_MID" height="259" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
この言葉を知ったとき、本当にその通りだと思いました。<br />
雨が降っている中で困っている人がいたら、まず傘に入れてあげる。<br />
切羽詰まっている人がいたら、まず手を差し伸べてあげる。<br />
そんな人であれたらと思います。<br />
同時に、やっぱり「止まない雨はない」というメッセージに救われる人もおられるのではないか、とも思います。<br />
しかし、現実は「雨は夜更け過ぎに雪へと変わる」かもしれませんし、「止まない雨はないけれども線状降水帯」かもしれませんし、「雨が止んだら、今度は降らなくて困る」かもしれませんし、「雨は恵みの雨」だったかもしれません。<br />
人生は何が、どこで、どうなるかわかりません。<br />
そんな人生に対する気づきの言葉に、この掲示板がなれたらと思います。言葉の力を信じながら、この掲示板の言葉が皆さんの心の傘になれることを願いながら掲示板を２か月に一度、書かせていただいています。<br />
今年もよろしくお願いいたします。<br />
<br />
<br />
2025年1月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>幸せを手に入れるんじゃない</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/34247101/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/34247101/</id>
    <issued>2024-11-08T06:36:00+09:00</issued>
    <modified>2024-11-08T06:36:49+09:00</modified>
    <created>2024-11-08T06:36:49+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202411/08/06/b0002906_06354666.jpg" alt="_b0002906_06354666.jpg" class="IMAGE_MID" height="207" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
幸せはなるものではなく感じるものです。<br />
空腹の時に食べるおにぎりは、満腹の時の食べるどんなものよりも幸せを感じさせてくれるはずです。そんな空腹の時に食べるおにぎりでも数個食べれば満足します。食べ過ぎれば苦しみになります。疲れ果てて入るお風呂や布団にこの上ない幸せを感じることがあったかと思います。でも、お風呂に入り続けることも、布団で寝続けることもできません。<br />
幸せというものは、瞬間、瞬間に感じる充足感、満足感と言ってもいいのかもしれません。この充足感、満足感というものは、一つ満たされると必ず次が出てきます。ですから、私たちの感じる幸せはなかなか長続きしません。<br />
では、どうしたら長続きさせられるのか？<br />
感謝できることに目を向けてみてください。できないこと、ないことに目を向けるのではなく、できること、あることに目を向けてみてください。幸せを感じる心を大事に育ててください。当然ですが、安心できる衣食住がないと感謝に目を向けることはできないかと思います。<br />
能登の被災地をはじめ、日本の各地、世界の隅々まで安心できる衣食住が確保されることを願わずにはおられません。<br />
<br />
<br />
合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>夢か現か</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/34041351/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/34041351/</id>
    <issued>2024-09-06T10:00:00+09:00</issued>
    <modified>2024-09-06T10:00:54+09:00</modified>
    <created>2024-09-06T10:00:54+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202409/06/06/b0002906_10002088.jpg" alt="_b0002906_10002088.jpg" class="IMAGE_MID" height="196" width="500" /></center><br />
「酔生夢死」という言葉は北宋時代に活躍した儒学者・程顥（ていこう）が残した書物に由来するもので、「まるで酔ったような夢見心地のまま虚しく一生を終える」という意味になります。仏教の教えの中でも使うことがありますが、その場合は人間の生き様そのものとして「酔生夢死」が使われることがあります。私はお酒を飲まないから関係ないわって方もおられるかと思いますが、お酒を飲まなくても私たちは酔えるのです。預金通帳の額に酔っている人はいませんか？自分の美貌に酔うこともあります。学歴、地位、家柄に酔っている人もいるでしょう。人間はどこかで、何かに酔いたい。<br />
お釈迦様は、そんな私たちの生き様をこう喩えられました。<br />
<br />
<br />
<br />
広い野原を旅人が歩いていました。そこに象が暴れて襲ってきた。旅人は大慌てで逃げると、その先には井戸があり、井戸の上には藤のツルが垂れていた。これは幸いだと思い、藤のツルに掴まって井戸の中に逃げ込んだ。井戸の中には象は入ってこられませんから、やれやれとホッと一息をついて下を見ると井戸の底には毒蛇がいた。驚いて上を見ると藤のツルをネズミがカリカリとかじりつつある。そんな絶体絶命の状況の中で、ふいに藤の花から蜜が一滴落ちてきた。その蜜が旅人の口の中に入り、その甘さに夢見心地となり自分が置かれている絶体絶命の状況を忘れてしまう……。<br />
人間が快楽に身を任せて、人生の苦しみを忘れているのはこのようなものだとお釈迦様はおっしゃるのです。<br />
<br />
<br />
農民から天下人になり、欲しいものは何でも手に入れることができた豊臣秀吉が63年の生涯の終わりに思いを吐露した辞世の句があります。<br />
<br />
<br />
『露と落ち　露と消えにし　我が身かな　浪花のことも　夢のまた夢』<br />
<br />
<br />
傍から見れば大成功と言えるような秀吉の人生でも「酔生夢死」の人生であったと言えるのかもしれません。死を前にした時、秀吉は酔いからさめ、自分の人生に寂しいものを感じたのでしょう。<br />
あなたも何かに酔って大事なものを見失っていませんか。<br />
<br />
<br />
2024年9月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>一生懸命だと知恵が出る。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/33905350/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/33905350/</id>
    <issued>2024-08-02T09:54:00+09:00</issued>
    <modified>2024-08-02T09:54:38+09:00</modified>
    <created>2024-08-02T09:54:38+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202408/02/06/b0002906_09540270.jpg" alt="_b0002906_09540270.jpg" class="IMAGE_MID" height="203" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
「一生懸命」はもともとは「一所懸命」に由来する言葉になります。<br />
「一所懸命」は「武士が賜った一か所の領地を命がけで守り、その一か所を生活の頼りにして生きたこと」を意味します。これが「物事を一生かけて、命がけでやる」という風に転じて今では「一生懸命」と表記するのが一般的になりました。物事を本気で、命がけで取り組む姿勢があれば、愚痴や言い訳がでてくる暇はなく、考えて、考えて、考えた先に知恵が出てくるのでしょう。<br />
私たちは好きなことならば、一生懸命に取り組めるのですが、嫌いなことになるとなかなかそうはいきません。嫌いなことを無理やり好きになろうとしても、やっぱり好きにはなれないでしょう。どうしたらいいのか？<br />
大きな視点で見てみたらどうでしょうか。嫌いなものも好きなものの一部であると考えてみるのです。大好きな「趣味」のために「仕事」を頑張れるということがあるはずです。苦手な「練習」も「成功」の一部、過程であるはずです。大きな視点で考えてください。<br />
喜劇王・チャールズ・チャップリンはこう言います。「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」。<br />
人生を振り返ってみたときに笑えるように「生きる」ということに命をかけて、一生懸命になってみてください。<br />
<br />
<br />
2024年7月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/33781241/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/33781241/</id>
    <issued>2024-05-02T11:21:00+09:00</issued>
    <modified>2024-05-02T11:21:31+09:00</modified>
    <created>2024-05-02T11:21:31+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202405/02/06/b0002906_11202311.gif" alt="_b0002906_11202311.gif" class="IMAGE_MID" height="283" width="500" /></center><br />
曹洞宗の禅僧・良寛さんは1829年、新潟で大地震を経験されました。<br />
その時、良寛さんが知人に宛てた無事を伝える手紙の中で上記の言葉を書かれました。<br />
「ちゃんと災難にあう、ちゃんと死んでいく」とはどういうことか。<br />
それは、災難や死を引き受けていく、受け入れていくということではないかと思います。私たちは病気になっても「ちゃんと病気になる」ということがなかなか難しい。「今まで健康に気をつけていたのになんで」「この歳で病気になるなんてなんで」「なんで私が」「なんで、なんで…」こんな思いが出てきて、「ちゃんと病気になる」「ちゃんと災難にあう」「ちゃんと死んでいく」ということが難しいのです。<br />
私たちは、自分にとって都合の良いことはいくらでも引き受けるのだけれども、都合の悪いことはなかなか引き受けることができません。しかし、都合の良いことも、都合の悪い事もちゃんと引き受ける、受け入れていくことが、自分の人生にちゃんと足をつけて、自分の人生を歩んでいくことになるのではないでしょうか。<br />
どんなことがあっても阿弥陀さんはそばに寄り添って、一緒に引き受け、一緒に歩んでくださいます。どんなことであっても引き受け、受け入れた、その第一歩が始まりとなっていきます。<br />
合掌<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>知恵がある奴は、知恵を出そう。力がある奴は…</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/33699884/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/33699884/</id>
    <issued>2024-02-29T15:31:00+09:00</issued>
    <modified>2024-02-29T15:31:27+09:00</modified>
    <created>2024-02-29T15:31:27+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202402/29/06/b0002906_15221785.jpg" alt="_b0002906_15221785.jpg" class="IMAGE_MID" height="227" width="500" /></center>1月1日に発生した令和6年能登半島地震により、犠牲になられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災された皆さおよびご家族、関係の方々に心よりお見舞い申し上げます。能登地方にご家族、ご親戚、ご友人、職場の仲間など多くのつながりがある中での災禍、ご苦労、ご心労いかほどかと拝察いたします。<br />
<br />
<br />
自然はすべてに命を与えてくれる大きな源でもあり、一瞬にして命を奪う大きな力でもあります。この自然の前では人間の無力さを痛感せざるをえません。しかし、無力さを感じながらもできることはあるはずです。<br />
東日本大震災の時に松山千春さんはラジオで上記の言葉をリスナーに呼びかけました。<br />
<br />
<br />
お一人、お一人のできることは違います。<br />
お一人、お一人のできることは小さいかもしれない。<br />
でも、そんなお一人、お一人のいろいろな力、小さな力を合わせて私たち人間はこの世界を、この大自然の中を生きてきたのです。<br />
被災地域の一日でも早い復旧、復興を衷心より祈念しながら、できることを一つずつ、一歩ずつしていきたいと思います。<br />
<br />
<br />
2024年1月　合掌<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>大人は、だれも、はじめは子どもだった。</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/33615424/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/33615424/</id>
    <issued>2024-01-01T00:00:00+09:00</issued>
    <modified>2024-01-01T00:09:22+09:00</modified>
    <created>2023-12-31T17:48:54+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202312/31/06/b0002906_17481978.jpg" alt="_b0002906_17481978.jpg" class="IMAGE_MID" height="114" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
子育てをしていると、子どもにハッとさせられるようなことがよくあります。<br />
親が子どもを育てているのと同時に、親は子どもから育てられ、問われていると感じます。<br />
教師である鹿島和夫さん（2023年・没）と担当した小学校一年生たちとの交換日記「あのね帳」の声をまとめた本「１年１組せんせいあのね」からドキッとするような一年生の声をお届けします。<br />
<br />
<br />
『ほし』たかはし　みつほ<br />
<br />
<br />
せんせい　あのね<br />
<br />
なんで　そらのほしは<br />
ほしのかたちがしてないの<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
『アーモンドのみ』たかぎ　りょうた<br />
<br />
<br />
おとうとはチョコレートにはいっている<br />
アーモンドをとりだして<br />
チョコレートのみがでるか<br />
アーモンドのみをつちの中にうめました<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
『こども』いわはま　えりこ<br />
<br />
<br />
こどもはいつからおとなになるのでしょう<br />
おとなはむかし　こどもだったんでしょう<br />
みんな　そのときのきもちを<br />
たいせつにしてもらいたいなぁ<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
『にんげん』えぐさ　たつや<br />
<br />
<br />
せんせい　にんげんは<br />
なんのために　いきているんですか<br />
ぼくは　たっぷりあそんで<br />
たのしむためだとおもいます<br />
せんせいはどうおもいますか<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
『へんなこと』にし　あきのぶ<br />
<br />
<br />
ねるときは<br />
もっとおきていたいのに<br />
おきるときは<br />
もっとねたい<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
『あめ』みねゆき　よしえ<br />
<br />
<br />
あめがはっぱですべりだいをしている<br />
きょうそうでうえからおよいできて<br />
つぎつぎにはっぱを<br />
すべりおちていった<br />
おてんきになったら<br />
くものうえにかえっていくんだね<br />
<br />
<br />
2024年1月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>報恩の心とは、</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/33517931/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/33517931/</id>
    <issued>2023-11-01T22:36:00+09:00</issued>
    <modified>2023-11-01T22:36:09+09:00</modified>
    <created>2023-11-01T22:36:09+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202311/01/06/b0002906_22355465.jpg" alt="_b0002906_22355465.jpg" class="IMAGE_MID" height="198" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
浄土真宗のお寺やご門徒さんのご自宅で報恩講、ほんこさんが勤まる時期となりました。恩に報いると書いて報恩講ですから感謝が大事になってくるのですが、普段の感謝とは一味違うのです。私たちの普段の感謝とは、自分の思いや欲求が実現した時にするものです。ですから、自分の思いや欲求が実現しなければ不満になります。自分の都合が良ければ感謝はでるのですが、不満の時には感謝がでてこないというのが私たちの普段の感謝です。<br />
では報恩の感謝とはどんな感謝か。<br />
自分にとって都合の悪いもの、不満や不安、苦悩など私たちが普段目をそむけたくなるようなものもひっくるめていただくのが報恩の感謝、報恩の心というものではないかと感じています。<br />
自分自身の状況や周りの環境に不満や不安、苦悩がない人はいないと思います。私がどんな思いをもっていようとも、不満や不安、苦悩があろうとも、事実私はここに存在しています。そんな丸ごとの自分自身をいただいていく。もちろん自分自身では受けとめきれない、受けとめたくないということもあるかもしれません。けれども事実、私たちがここに存在しているということは、まず世界に私たちが受けとめられているわけです。<br />
まず世界に受けとめられていることを喜びをもって受けとめる。<br />
そして、そのことに頭が下がったところに報恩の心、南無阿弥陀仏の心があるのかもしれません。<br />
<br />
<br />
2023年11月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>とても地獄は一定すみかぞかし</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://opentemple.exblog.jp/33422062/" />
    <id>http://opentemple.exblog.jp/33422062/</id>
    <issued>2023-09-03T15:26:00+09:00</issued>
    <modified>2023-09-03T15:26:36+09:00</modified>
    <created>2023-09-03T15:26:36+09:00</created>
    <author><name>opentemple</name></author>
    <dc:subject>今月の掲示板・ご挨拶</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202309/03/06/b0002906_15261201.jpg" alt="_b0002906_15261201.jpg" class="IMAGE_MID" height="800" width="396" /></center><br />
<br />
<br />
　中国で一番古い漢字辞典「説文（せつもん）」には「獄」は「犬言犬」と示されています。二匹の犬が互いに「私」を主張して吠えあっている姿、言い争いをしている姿が表現された字が地獄の「獄」です。言い争いをしているのは犬だけではありません。私たち人間も言い争いをしています。私たち人間の争いは互いに自分が正しいと思っているもの同士の争いです。夫婦喧嘩でも自分は間違っていると思いながら旦那さんとケンカする奥さんはいないのです。自分が正しいと思うから旦那さんとケンカになる。もちろん旦那さんも自分が正しいと思っている。<br />
　私たち人間の争いはいつも善と善、正義と正義の争いだということです。互いに正義をふりかざすことで、争いを大きくするし、争いに終わりがなくなり、武力でもって相手を傷つける戦争ということまで人間はやってしまいます。<br />
　私たちは自分を中心に物事を考え、結局のところ最後は「自分さえ良ければ、それでいい」という生き方をしてしまう。そこに地獄というものの一つの姿があるのではないでしょうか。<br />
　そんな自分自身の姿、自分自身の生き様を知らされたとき、親鸞は地獄というのは私の居場所であった、もっと言うならば私が地獄を作り出していたという自覚から「とても地獄は一定すみかぞかし」と申されたのです。<br />
2023年9月　合掌<br />
]]></content>
  </entry>
  <supplier>
    <url>
      <excite>https://www.excite.co.jp/</excite>
      <exblog>https://www.exblog.jp/</exblog>
      <idcenter>https://ssl2.excite.co.jp/</idcenter>
    </url>
  </supplier>
</feed>
