2019年 07月 05日
蝉は春や秋を知らない。故に夏も知らない。
蝉という生き物は夏に生まれて、夏に死んでいくわけですから、夏と言えば蝉、蝉と言えば夏というくらい、蝉は夏を代表する生き物であり、蝉ほど夏を知り尽くしている生き物はいないのではないかと思います。
しかし、曇鸞は蝉は夏を知らないとおっしゃる。夏に生まれて、夏に死んでいく蝉は春や秋を知らないので夏を知ることはできないだと語るのです。
実は、今が夏だと知ることができるのは春や秋を知っているものだけなのです。春や秋を知るものだけが夏を知ることができる。春や秋、そして冬を知るということは、同時に夏を知ることにもなるのです。
また、春夏秋冬という季節は春・夏・秋・冬がそれぞれ独立しているのではなく、春夏秋冬は互いに関係しながら春夏秋冬となっているのでしょう。そして、実はありとあらゆることが互いに関係しながら存在しています。このことを仏教では「縁起(えんぎ)」という言葉で表現します。ありとあらゆることが互いに関係しないと存在できないのに、ありとあらゆることを分断して、分けて考える「分別(ふんべつ)」するところに人間の苦悩が生まれると仏教では考えます。「分別ある人」「ゴミの分別」など、普段私たちは「分別」は良い意味で使いますが、仏教では「分別」が苦悩のもとであると考え、「分別」のない状態、「無分別(むふんべつ)」を真実の姿として表現します。「自分と他人」「生と死」「善と悪」「好きと嫌い」「平和と戦争」「喜びと悲しみ」…など、相反すると思うようなことであっても、別々に存在するのではなく互いに関係しあい、支えあって存在しているのです。
夏の裏には春、秋、冬があり、冬の裏側には春、夏、秋がある。そのことを曇鸞は蝉のたとえでもって私たちに教えてくださっています。
合掌
by opentemple
| 2019-07-05 21:08
| 今月の掲示板・ご挨拶


