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仏法が分かるということは_b0002906_14525408.jpg
新年を迎えました。
その裏では、新年を迎えたくても迎えることができなかった無数の命の存在があります。
「新年を迎えることができた」ということは決して当たり前のことではありません。それは毎年迎える新年だけではなく、毎日迎える「今日一日、この瞬間」も決して当たり前に迎えることのできるものではありません。
開業医をされながら親鸞聖人の教えに深く帰依され、全国各地で法話をされ、著作も多数ある米沢英雄さんはこうもおっしゃります。

『今、新しいものはやがて古いものになるのです。仏法は永遠に古くならないものです。真実というものはいつも新しい、この真実をつきつめたところに真宗があるのです。これは流行に左右されません。どんな平凡な、毎日同じような仕事をやっていても宗教心さえ芽生えておれば、いつも新しく生きておられるのだと思う。』

毎日を有難い毎日としていただくことは、同時に毎日を新しい毎日としていただくことになるのでしょう。
そんな毎日を一日、一日丁寧に生きるということを大事にしたいと思います。


2026年1月 合掌



# by opentemple | 2026-01-01 15:00 | 今月の掲示板・ご挨拶

蜂と神さま

蜂と神さま_b0002906_12091124.jpg
仏教では全てはつながっていると教えてくれます。
水は雲として存在します。そして雲は雨となり山に沁み込み、沁み込んだ水がやがて湧き水となり、川となって水道管を通って私の元に届きます。
ですから、水を飲むということは、雲を飲むことであり、雨を飲むということであり、山を飲むということであり、川を飲むということでもあるのです。人間の体の70パーセントは水だと言われていますから、身体の70パーセントは雲、70パーセントは雨、70パーセントは山、70パーセントは川という風に考えることができるかもしれません。水は雲であり、雨であり、山であり、川であり、そして私です。
また、私たちは宇宙ともつながっています。
太陽がなければ、私たちは生きていけません。水も空気も食べ物も太陽のエネルギーから生まれたものですから、私は太陽であるとも言えるのです。私たちは時間も空間も超えた無限のつながりの中を生きています。そんな無限のつながりを象徴する仏様・阿弥陀如来を浄土真宗では、御本尊として大事に手を合わせています。
私たちはつながりの中でしか生きていけないのに、つい自分一人の力で生きていると錯覚してしまいます。南無阿弥陀仏とお念仏申しながら無限のつながりの中にいる私を思い起こしてください。
2025年9月合掌



# by opentemple | 2025-08-31 12:16 | 今月の掲示板・ご挨拶
人を殺すことが戦争ではないんです。_b0002906_09594853.jpg

第一次世界大戦で約一千万人、第二次世界大戦で約四千万人、日本ではアアジア太平洋戦争で焼く300万人の命が失われました。人類の歴史上、戦争の死者がもっとも多かった20世紀は戦争の世紀と呼ばれることもあります。
21世紀は平和の世紀であってほしいという願いとは裏腹に、9.11アメリカ同時多発テロで21世紀の幕が開けました。そして21世紀の4分の1、25年が経過しましたがウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、イスラエルとイランなど、とても平和の世紀とは呼べそうにありません。ニュースで見る戦争報道を遠くの世界の出来事だと“無感覚”になっていたら戦争に巻き込まれていると言えるのかもしれません。
日本国内においても日本人と外国人の間に軋轢がないわけではありません。人が人を殺すこと、殺されることに“無感覚”にならないことを平和への第一歩としていきたいです。

2025年7月 合掌

# by opentemple | 2025-07-01 10:00 | 今月の掲示板・ご挨拶
難が無ければ無難な人生、難が有れば…_b0002906_09243091.jpg

多くの人が苦難の人生ではなく、難のない無難な人生を願っておられるかと思います。無難とは特によくもなく、悪くもない、可もなく不可もなくとくことです。ですから無難な人生とは平穏無事な人生と言えるかもしれませんが、別の見方をすれば困難を避け、挑戦もしない人生とも言えるかもしれません。
今年、大阪万博が開催されていますが、55年前の万博のシンボル『太陽の塔』をデザインした芸術家・岡本太郎はこう言います。


『私は人生の岐路に立った時、いつも困難なほうを選んできた』

『人間にとって成功とは一体なんだろうか。結局のところ自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。』


困難な道を選んで挑戦することは結果はどうあれ後悔のない人生を歩めるのではないでしょうか。楽な道を選ぶことも決して駄目だとは思いません。時と場合によっては、楽な道を選ぶことが必要なこともあります。ただ、楽な道を選びつづけると結果的には苦難の道になってしまうような気もします。選択の余地がない困難もありますが、選択のできる困難に直面した時に自分自身が問われます。
生きるということは日々、選択の連続です。すべて困難な道を選択すべきだとは思いませんが、人生には必ずターニングポイントとなるような決断を迫られる時があるはずです。そんな時は岡本太郎の姿勢を思い出したいものです。
2025年5月 合掌

# by opentemple | 2025-05-08 09:25 | 今月の掲示板・ご挨拶
死の自覚が生への愛である_b0002906_11134734.jpg

終活というと断捨離などの身の回りの整理、財産整理、葬儀やお墓の準備のことを言います。しかし、終活の肝心要は「死の自覚」「命には限りがあるという自覚」になるのではないでしょうか。
自分の死を考えるのは縁起が悪いとか、まだまだ先だから考えたくないという方もおられるかと思いますが、自分の死を自覚する、自分の死を考えるということが、実は生きることを大事にすることである、生きるということを愛することであると戦後日本におけるギリシャ哲学の権威であった田中美知太郎氏はおっしゃるわけです。
改めて自分の最後を考えてみた時、多くの人が最後、自分が笑っていられて、まわりの者が悲しんでくれる、そんな最後を迎えたいと思われるのではないでしょうか。じゃあ、どうしたらそんな最後を迎えられるのか?
そのように生きたらいいわけです。最後、自分が笑っていられて、まわりの者が悲しんでくれる、そんな生き方をしたら、最後、そのような最後を迎えることができるのです。生きるということと死んでいくということはまったく別々のことではなくて、表裏一体のことです。生と死は対極にあるのではなく、生と死はともにあるわけです。死というものに向き合った時、じゃあ今なにがしたいのか、これからどのように生きたいのか、死ということから生が問われてきます。
死に向き合うということは、生に向き合うということです。生と死がともにある自分の人生に向き合い、人生を考えるということが終活というものの本質ではないかと思います。そう考えますと、終活は年配の方にだけ必要なものではなく、すべての人々に大切なことになるのではないでしょうか。
合掌

# by opentemple | 2025-03-10 11:14 | 今月の掲示板・ご挨拶

ご縁を大事に、想いをつなぐ    石川県金沢市のお寺、聞善寺から発信する住職からの思い、行事やイベントのお知らせ等もあります。


by 聞善寺
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